HITOTOMIRAIな役員 Vol.1 人と未来グループ代表・佐々木のヒストリー

「高校に行かせるべきか家族会議が開かれた」

佐々木が過去を語るには、学生時代の家族との想い出がかかせません。

「HITOTOMIRAIな役員」シリーズ。人と未来グループの役員の人生や、どんな想いで会社運営を行っているのか特集していきたいと思います。

初回は創業者である、人と未来グループ・ピーアンドエフ代表取締役の佐々木満秀です。

佐々木 満秀(ささき みつひで)

株式会社人と未来グループ・株式会社ピーアンドエフ 代表取締役

1998年にピーアンドエフ創業し、今年で20年目。
中小企業の採用支援を行うジンジブ、ホールディングス会社の人と未来グループを設立し、グループ全体の経営を担っています。

会社への想いは、“すべてのグループメンバーの豊かさの為に”だと佐々木は言います。

どのような想いで創業に至り、現在の考えに至ったのでしょうか。
先日開催した佐々木セミナーで語られた内容より、佐々木のヒストリーと想いの変遷を追ってみたいと思います。

佐々木 満秀ヒストリーと創業秘話

-高卒で働きはじめる

佐々木は、大阪門真市生まれ。お父ちゃんとお母ちゃん、そしていつもライバル視していた兄の4人家族です。

両親は共働きで、お母ちゃんはトラックを運転していました。決して裕福な家庭とは言えず、ある日佐々木は、自分を高校へ入学させるかどうかの家族会議が開かれたのを聞いてしまいます。

結局は地元の公立高校へ進学するものの、「高校にすら行けないのか・・」と内心ショックを受け、佐々木はやんちゃな学生時代を過ごしました。

(当時は“ビー・バップ・ハイスクール”、“浜省”の時代です)

<佐々木15歳の頃>

大学に行きたいと思う余地はなく、高校卒業後は“稼ぎたい”という意識が強くなりました。

高校からは地元の工場を紹介されましたが、行きたいと思える会社はなく、自分で求人広告を見て就職活動をしました。
しかし、正義感が強く、喧嘩も多かった佐々木は、職場でも納得の行かない会社、上司を許せず、衝突し転職を繰り返します。

母親の影響もあったのか、結局は給与の高いダンプの会社に入社しました。
やはりそこでもうまくいかず、20歳で大型免許を取得し、トラック運転手として起業します。
睡眠時間を削り、往復の間にも荷物を運搬するなど工夫をして、配送会社に勤めるよりも多く稼ぐことができました。

しかし、無理は長くは続きません。
佐々木自身が病気をしてしまいます。
と同時期に、トラック運転手の親友が交通事故で亡くなってしまうのです。

この一件から「この働き方で50歳になっても本当に働き続けられるのか?将来右肩上がりの人生にはなれないのでは無いか」と考え、最終的には社長になる夢を持って、サラリーマンになる決意をします。

初めてのサラリーマンとしては、自分に似合うであろうと不動産営業を始めました。
営業的なセンスがあった佐々木は、研修後の2ヶ月目で営業トップになります。
佐々木には優しかった上司も、成績の悪い同僚には辛く当たります。

それが我慢できず、ここでも上司と喧嘩をして、3ヶ月で辞めてしまいます。

 

-前職との出会い

次に入社したのは、友人からの紹介もあって実力主義で評価される前職の求人広告の会社です。佐々木は23歳でした。約120名の会社の社長はカリスマ性があり、学歴・年齢問わず、実力があれば抜擢する人でした。

佐々木はすぐに頭角を現し、25歳で営業本部長、26歳で常務取締役に就任。人を偏見で見ることなく、努力や成果を平等に見てくれたことに感謝していました。

社長の期待に応えるためにも、通信大学で財務や経営の勉強をし、毎日必死に学び働きました。

ところが、常務取締役に就任した佐々木は、会社の杜撰な財務状況を目の当たりにします。
稼いでも投資する社長、実際の決算書を見ると財務状況はボロボロでした。
そんな中でも、ここまで任せてくれた社長への恩義から、「ここで頑張ろう」と決意します。

赤字をなくそうと佐々木は努力し事業を成長させますが、社長の投資は続き、バブル崩壊後の1998年8月、ついに会社は倒産してしまいます。

最後の3ヶ月は給与もなく、借金をして部下に生活費を渡すような日々、倒産後も倒産手続きや残った社員の再就職の支援に1ヶ月奮闘しました。

佐々木はその頃を振り返り、「倒産し、内心は半分ほっとした自分がいた」と語ります。

「嘆いていても仕方ない。」

「このチャンス(実際は辛いピンチでしたが)に、自分でやってみよう!」と。

-30歳で創業。何もないところからのスタート

元々、30歳で起業したいと目標を持っていました。

1998年9月1日ちょうど30歳で、ピーアンドエフを創業します。

お金はありませんでしたが、営業だけは自信がありました。

会社を設立するにあたって「関わる人を大事にする」ことは絶対と決めていました。

また「未来を見据えた経営をする」こと、資金繰りや目先に追われるのを止めると、「People&Future」の頭文字を取り、ピーアンドエフと名づけました。

この創業の想いは今も変わっていません。

<創業時期の事務所>

お金はまったくありませんでした。

でも、「企画力」という誰にも負けない武器がありました。

持ち前の企画力を活かし、「マイタウンガイド」という、今のフリーペーパーのチラシを創り、載せてくれるお店を探しまわりました。

そんな創業間もない会社の仕事を「引き受けてくださった」業者様へは感謝してもしきれません。佐々木が業者様を「パートナー」と呼び、「お金を支払っている側」のような横柄な態度を決して許さないのは、こうした過去の苦労体験があります。

当時は携帯電話業界が伸び盛りの時代でした。

「マイタウンガイド」の顧客には、携帯電話ショップがありました。販売促進や売上向上に悩む若い店長が多く、そんな若い経営者に佐々木はコンサルティングを始めます。

3年目には携帯電話業界のプロモーションに特化し、業界の成長と共に会社は成長、創業以来15年もの間黒字経営が続きます。

-健全経営から成長への舵を切る。

当時の佐々木のポリシーは「健全経営」でした。

会社には信用力が一番大事と考え、企業の信用調査会社である帝国データバンクの評点において、非上場企業で日本一になると目標を持ちます。

2013年、「75点」。

とうとう日本一になりました。

佐々木は健全経営により、潰れない会社ができたと思いました。

しかし、ここで「社員にとって1番良い会社とは何だろう?」と考えます。

「健全経営では、会社は一歩一歩成長するが、部下の成長を作っていけるのか?」

「10年、20年と働いて社員への価値はあるのか?」

「倒産した有名企業の部下100人いる部長と、良い人だがピーアンドエフで部下15人の部長では、どちらの市場価値が高いのだろう?」

「倒産しないかどうかは社員にとって、もう最重要ではないのではないか。ならば安定ではなく、成長に舵を切ろう!」と決意しました。

それからの成長には人財が必要だということで、昔から付き合いの深かった、草場(現:ジンジブ社長)と星野(現:ジンジブ取締役)を口説き、2014年に株式会社ジンジブを設立します。

ピーアンドエフでも携帯電話業界の販売促進だけではなく、新たなマーケットを創るため、保険業界向けの新規事業をスタートさせます。

今まで培った資金と信用を、事業と人に投資をすると決めたのです。

ビジョンは「世界一人間力高きパイオニアカンパニー」

これからの時代は、更に“人間力”が問われると佐々木は強く言います。

AIに取って変わられる職業が発表されましたが、AIを使うのは人間ですし、サービスを受けるのも人間です。“人間らしさ”、“人間力”はなくなりません。

“人間力”は創業当時から佐々木が大事にしてきたことであり、それを明文化したのが「人間力25」です。

人間力25では、一緒に仕事をしたいと思える人のスキル・行動を提示しています。

佐々木にとって、前職で20代に内に様々な挑戦をさせてもらえたこと、勉強させてもらったことが、今につながっていると考えています。

ならば自分も若手に挑戦の場を与え、新たな価値を創造したい、また、万人に共通する幸せは“笑顔”だと考えました。

企業理念は、「挑戦と創造を繰り返し、笑顔あふれる豊かな社会を創りだす」

「グループ経営を行うことで、起業支援もしたいと考えています。」と語ります。

「これからの社会では、格差は更に大きく広がり、総中流社会だった日本でも、所得格差はすでに生まれています。

経済格差、地域格差、国の格差、企業格差、情報格差を食い止めるような事業を創造し、心の豊かさを追求する企業でありたいと考えています。」

IMG_3201

佐々木の人柄 企画・ホスピタリティ

過去の社員研修では、現地でのスケジュールや美味しい食事場所のアテンドなどを自ら行っていました。ドッキリ企画も得意でサービス精神が強い佐々木。(ドッキリを仕掛けられることを恐れていたメンバーもいますが・・・。)今でも全社員にお誕生日プレゼントを用意しています。メンバーのホスピタリティの高さは佐々木の影響かもしれません。

佐々木の話や、企業フィロソフィーをもっと聞きたい方、人と未来グループが展開する事業のビジョンを詳しく聞きたい方は、是非会社説明会へ起こしください。

次回は、ジンジブ 代表取締役 草場の人と未来グループとの出会いのヒストリーことを聞いています!

お楽しみに。